ラジオ体操

弊社レガートシップでは健康経営推進のさまざまな試みを K2S 委員の皆さんが進めてくれています。いつもありがとう。
そのなかのひとつが週に一度赤坂事務所内で実施しているラジオ体操。
そんなラジオ体操のあった日の帰路の電車内、若手の IWM くんがラジオ体操について熱く語ってくれたことをきっかけに近所で早朝に行われているラジオ体操に参加してみることにしました。

この時はまだ 2 月の初め。ラジオ体操の始まる 6 時半前は太陽が昇る気配だけです。
街路樹の合間にはたくさんの人たちがスタンバイ。 どこに音源があるのだろうか例のオープニング曲が流れてくる。歌えますか?ラジオ体操の歌。

ラジオ体操の歌を空で歌える自分に少し感心しつつ、アイスブレークの柔軟体操を挟んでラジオ体操第一、そして間髪入れずにラジオ体操第二へと続きそのままフィナーレ。皆さん挨拶を交わしながら解散です。そろそろ太陽も顔を出してきそう。
早朝のピリッとして新鮮な空気のなかでのラジオ体操もいいですね。

まだまだ寒かった早朝ラジオ体操参加の 2 月から時を経て桜の季節も過ぎようとしています。今年は開花が遅かったので長く桜をたのしめた気がするようなしないような。近隣で歴史を感じる桜を見学してきたので歴史の勉強。

埼玉県北本市 東光寺の石戸蒲ザクラ

日本五大桜まで数えるとこの桜もエントリーするとのことです。樹齢 800 年と伝えられていて、蒲ザクラの名は征夷大将軍源頼朝の弟範頼(蒲冠者)に由来するといわれます。
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の作中で良い人キャラの蒲冠者殿は修善寺で粛清されてしまいましたが、石戸蒲ザクラは彼が実は生存していたとされる説からきているとか。
有名な桜なのでとても多くのひとたちが訪れていました。近隣には自然観察公園があるなど桜だけではなく周辺で多くの植物をたのしむことができますよ。
桜と菜の花とのコントラストが綺麗です。

埼玉県寄居町 鉢形城公園内の氏邦桜

樹齢 160 年とのことで北条氏邦存命の時代とはカスリもしませんが、戦国期にこの地を治め鉢形城主だった彼への親しみを込めて近年「氏邦桜」と命名されたのこと。
とても背が高い桜の木で切岸下から見上げるとビルを下から眺めているような気持ちになります。

鉢形城跡は公園として整備されつつ当時の遺構も多く残されていて見どころが多いのです。地元の皆さまの環境保全活動に感謝いたします。広大な城址ゆえに歩き回るとけっこうなハイクになるのでたびたび訪問してフラフラと楽しんでいます。
堀を兼ねた深沢川がちょっとした渓谷を作っていたり、諏訪曲輪跡のすぐ外側には八高線の単線が走っていて時間が合えば一両編成の可愛い車両をすぐそばで眺めることができます。
鉢形城の北側は荒川の断崖になっていますが、対岸には七代目松本幸四郎丈の別邸跡が公園になっていたり、その記念として十代目松本幸四郎丈直筆の守破離の石碑が飾られていたり。

いつか山高神代桜や三春滝桜を見に行ってみたい。
以上、歴史担当でした。

真夏のインラインホッケー [見学編]

今年の東京都心の猛暑日の日数は8月5日で16日めと史上最多だった去年に並んだそうです。
そんな猛暑日だったある休日、弊社の代表が趣味で楽しんでいるインラインホッケーの練習風景を見学してきました。
やって来たのは埼玉県戸田市の「CCM Experience Center TOKYO(CXC)
リーグ戦も開催される本格的な施設です。

弊社代表の属するインラインホッケーコミュニティーは、トップチーム所属のアスリートやその方たちをスポンサーとして支援する人たち、そのお仲間さん達やご家族で構成されているのだそうです。
この日はその中でもライトに楽しもうとしている同志の方々が集まる月イチの練習でナイスミドルから少年少女、女性もいらっしゃいます。
とはいえコーチ陣はトップ層のバリバリの方々で、こまめに休憩を挟みながらも練習メニューはけっこうハードです。

リンクの床が白いので涼しそうにも見えますが冷房はなく施設内はとても暑いです。休憩で戻ってくる代表はとうぜん汗だく。練習後にユニフォーム下のプロテクターの一式を見せてもらったけどかなりの重装備。こりゃ暑いだろうね。
ボクもみなさんの休憩中にスティックを借りて靴のままパッドを打って遊ばせてもらいましたが足腰がピキピキだったしスケート履いたら相当体力を持っていかれるんだろうなと思いました。みなさんすごいなぁ。

ウォーミングアップから基礎練習、シュート練習、あれこれ、試合形式と進んで最後に集合してのミーティングでこの日の練習は終了です。
ハードなメニューの中でも大きく声を掛け合ったり、笑顔が溢れたり、スティックでリンクをパンパン叩いて褒め合ったりと賑やかで楽しそうで、練習後のみなさんのクシャクシャな笑顔が素敵でした。おつかれさまでした。

それでは最後にうちの代表の COOL な連続画像を載せてレポートを終了します。

そうだ!恐竜に会いにいこう

みんな大好き 恐竜の時間です。

歴史担当です。今回は歴史と語るのもおこがましい太古の話。恐竜です。
小さいころ恐竜が大好きでした。当時は図鑑くらいしか画像や情報に触れることができなかったものですが、いまは映画や Youtube、TVの特集などでも恐竜の映像を目にすることができますね。

そんな恐竜の化石についての話題です。太古の時代に実際にこの地球を跋扈していた恐竜たちの骨が石に化けたもの。数千万~数億年の時を経て地層の中に遺りつづけていた地球からの便り。
恐竜化石に会いに行くことができる首都圏近郊の博物館。この冬にちょっとしたきっかけから再訪含めて見学に行ってきました。そのレポートです。

群馬: 神流川恐竜センター

私はここの存在をこの冬に初めて知ったのですが、それをきっかけとしてあらためて関東の恐竜化石巡礼を始めました。
この地で恐竜の足跡の化石を発見したことを機に町おこしの一環でオープンしたのだとか。町運営の恐竜オンリーの展示施設なので小規模なのかなとの予想を覆して立派でオシャレな施設でした。
展示はモンゴル由来の恐竜化石が充実しています。モンゴルといえばタルボサウルス。そして有名なプロトケラトプスとヴェロキラプトルの格闘化石がしっかり展示されています。中庭には T-Rex の産状化石が展示されていて触ったり乗ったりできるのでちびっこは楽しめそう。他にもライブシアターや化石発掘体験イベント、子どもと一緒にワイワイできそうなオシャレなカフェもあります。
とても山深いロケーションに位置していてちょっとした秘境感を味わうこともできるし、道中には下久保ダムがあるのでダムフェチな方は合わせてどうぞ。


群馬: 群馬県立自然史博物館

恐竜展示エリアの入り口でトリケラトプスの化石が迎えてくれ、足元に目を移すとガラス床の下に化石の発掘現場を再現したセットが展示されています。
こちらの特色は竜脚類恐竜が3体も展示されていること。大型で首と尻尾が長い四足歩行のアレです。ブラキオサウルス・カマラサウルス・マメンチサウルスがいます。とくにブラキオサウルスはユニークな体つきをしているよね。前足が長くて背が高くて子どものころは憧れていたものです。初めてブラキオサウルスの展示を見ることができて興奮できました。
恐竜以外にも群馬の自然についての展示が豊富ですし、人類の進化とその営みを表現したジオラマはとってもリアルです。
上階の一角までいくとダーウィンの部屋で博士ロボットが小芝居をしてくれるので子どもたちが集まっていました。小さい子は泣いていました。

群馬県富岡市に位置するので至近に世界遺産の富岡製糸場があったり、ちょっと向こうに群馬サファリパークもあって観光名所も豊富なので合わせて訪れるものいいですね。


茨城: ミュージアムパーク茨城県自然博物館

ここの展示のイチオシは恐竜じゃないけどエントランスの松花江マンモスの化石です。高さ5m超えでホントかよってくらい大きいです(マンモス比)。そしてもう少し奥の吹き抜けスペースにヌオエロサウルス。メートル表示(全長26m)より大きく感じるのは骨太だからかな。
恐竜展示スペースはぎゅっと濃縮したかんじ。動くジオラマもあるのでちびっこは喜んでくれるとおもう。T-Rex の親子とトリケラトプスの対決です。

ここのもうひとつのオシは現代日本の森林生態系を模した実物大ジオラマ。大きな森林のセットの中にたくさんの動物たちが隠れているのでちびっこと一緒に動物探しをしている家族連れはとても楽しそうでした。大きめのイノシシもぱっと見で認識できないし、じーっと眺めて観察するとそこに小動物がいたり…

さいごのオシは野外です。一帯が自然公園になっていてお弁当持参で外でゆっくりできそうなスペースがあったり自然を眺めながらの散策コースがあったりバードウォッチングだってできる。芝生広場のまん中で寝転ぶのはサイコー。


神奈川: 神奈川県立 生命の星・地球博物館

観光地箱根湯本です。以前弊社レガートシップの旅行でも訪れたことがあるかまぼこのお店やうなぎ屋さんのほど近く。
さすがの観光地らしく大きくて立派な博物館です。場所がら観光バスなどで訪れる団体さんも多いのでしょうね、エントランスでは制服の受付スタッフが揃って恭しく出迎えてくれます。そこにひとりで入っていくのはとても恥ずかしいものです。

広々としたエントランスの吹き抜けスペースでは大きなチンタオサウルスと翼竜たちが天井画と共に迎えてくれます。奥にはこちらも広々とした展示スペースに T-Rex や首と尻尾の長ーいディプロドクスなどの恐竜たちがゆったり展示されています。
他にも岩石・隕石が大きなスペースで展開されていたり、ジャンボブック(大きな本)の形式で昆虫などの生物を紹介している広いスペースがあってちびっこ達が楽しそうに歩き回っていました。

さて、ここ生命の星・地球博物館から見える山のその向こうにあるのが石垣山一夜城址です。歴史好きな方は是非訪れてみてください。一夜で築城したのは言い過ぎとしても突貫で築いたと伝えられるこの城跡一帯。歩き回って豊富な石材の量と山中に不自然に現れる削平地の広さを目の当たりにしてみると、相当な土木工事の跡がうかがわれて当時の秀吉の絶大な権力と財力を感じることができます。

石垣山城址入り口にはヨロイヅカファームがあります。オシャレな食事やスイーツのお買い物、隣接のマルシェでは地元の新鮮な食材を購入できます。私はみかんを買いました。

ヨロイヅカファームの庭でハグするカエルと相模湾


東京: 国立科学博物館

さすが国立の展示標本の量と質です。実は博物館に展示される恐竜化石は実際に発掘された化石のレプリカ(複製)が多いのです。ココ国立科学博物館は実物化石標本が多く展示に含まれているそうです。そのため海外からガチな調査団が来てガッツリ調べていくこともあるんだとか。

みんな大好きトリケラトプスが2体もいます。産状化石の標本も貴重らしいですが、T-Rex と対峙するトリケラトプスの成体標本は見入ってしまうくらい大きい。T-Rex 標本も座っている姿勢なのだけどアタマがとても大きくて立ち上がったらさらに迫力あるんだろうな。

博物館の出口では全長30mのシロナガスクジラが見送ってくれます。恐竜も竜脚類の大きいのだとこの全長を超えてきます。そんなスケール感で想像をめぐらせて景色の中に恐竜を歩かせながら上野を散歩するのも良いものです。

国立科学博物館は不定期に特別展を開催します。現在進行で 6/18までの特別展が絶賛開催中です。私も2005年の特別展で T-Rex Sue が来たときにまだ1歳だった息子を連れてきたものです。大興奮でした(父親が)。

以上、首都圏で恐竜化石に会うことができる博物館のレポートでした。
時間予約制の博物館もあるので訪れる際にはサイトで確認してみてください。

日本で恐竜の聖地といえば福井県。福井県立恐竜博物館=FPDM は現在 2023-07-14(金)のリニューアルオープンに向けて休館中です。もう少しですね。

福井県を訪れた弊社のレガートな仲間が FPDM リニューアルのパンフレットを大切に持って帰ってきてくれました。さらにギロッポンでこの夏開催する DinoScience 恐竜科学博 2023 についても教えてくれました。感謝です。

靴と八王子城と先輩

このブログでなにかと話題になる高尾山。先日の高尾登山の登り始めで靴底がベロンベロンしてみんなに迷惑を掛けた歴史担当です。

同じ日に左右同じように壊れるのかよ

日本に靴を履く文化が伝わったのはいつ頃?と考えると明治の文明開花の頃ではと漠然と想像してしまうけど、いえいえ平安時代からすでに沓(くつ)として公家の間では靴を履く文化があったのです。

浅沓(Wikipediaより)
宮中で履いていそうなコレ

この時代、公家に侍う上級武士にもこの習いがあったとされていて、大河ドラマの往年の名作「炎立つ」でも上級武士役の人は武装姿でブーツみたいな沓を履いています(Youtubeで観た)。諸説あれどさすがに時代考証がしっかり入っています。
よほど日本の気候に合わなかったのでしょうか、その後武士たちはみな草鞋にシフトしていきます。

ところで私事ですが冒頭のようにハイク用の靴が壊れたので新しく靴を買いました。その靴のデビューとしてこの8月某日に八王子城跡に登ってきたので紹介させてください。
八王子城って???

みんな大好き歴史の時間です。

戦国時代、小田原城を本拠に関八州に覇を唱えた後北条氏。その一族北条氏照が戦国末期に築城した八王子城。
関東屈指とされる広大な山城でしたが、1590年豊臣秀吉による小田原征伐の一連の攻城戦の中でも数少ない殲滅作戦が行われたのがこの八王子城です。
上杉・前田・真田等の北国部隊の総攻撃により城主不在の中わずかな家臣と婦女子が立て籠もったこの城は悲劇の落城を迎えました。

私としては八王子城は2008年以来の再訪です。壊れた先代の靴のデビューがその時だったので、新しい靴をおろすのもここにしました。

麓で旧新の靴を並べて記念撮影

八王子城の本丸跡を目指すのは山登りです。さらにその先の詰城跡へ向かうコースはけっこうな山道です。
麓から金子丸跡、高丸跡、小宮曲輪跡と登り八王子神社へ。ここまで30分弱とはいえ戦を想定し守りに特化した要害の地形なので急坂が多くて息もかなり上がる。
見晴らしが利くところまで抜けると都内への眺望がガッツリ広がります。

麓のガイドパネルから八王子城鳥瞰図
いざ入山
八王子神社
(改築されたみたい)
遠く霞む都心のビル群

八王子神社の更に上にある本丸跡に立ち寄り松木曲輪跡の手前から詰城跡を目指す険しい山道へ入る。さあここからが八王子城跡の醍醐味です。
猛暑の中ぼんやり足を進めていると「ん、これ山道じゃなくね?」みたいなざわざわ。やっぱり迷ってた。慎重に復帰し、気を取り直してあらためて詰城跡を目指しました。

詰城周辺の遺構の中でぜひ紹介したいのが堀切跡です。

詰城跡手前の堀切
詰城跡の奥の堀切

どうです、この大きな堀切の跡!!!城の守りとして戦国当時に人力で造られた土の遺構です。城ファンには萌え萌えの上物なのです。これを見に来た。

この後さらに富士見台まで足を伸ばした後は山麓まで戻ってさいごに御主殿跡周辺を散策。御主殿跡は山登り無しで気軽に散策できるスポットで、野鳥観察エリアとしても知られています。
ゆるキャラやガイダンス施設を設けたり、ガイドさんが城跡周辺を案内してくれたり(コロナ禍で休止中)、地道な観光誘致活動もされているので城跡や野鳥に興味がある方はぜひ。

富士見台にて
御主殿跡の曳橋と石垣(復元)
御主殿の滝

この道中、山麓と山中で合わせて3度出会った男性がいました。聞けば年齢はもう80を超えているとのこと。
野鳥のこと、山道のこと、コロナ禍のこと、奥さまや故郷のこと、たくさんお話をして人生の先輩を前に謙虚な気持ちになれた清々しい時間でした。まだまだ自分は半端だし未熟だし小僧だ。
最後に別れた富士見台で「バスの時間がありますのでこれで!」と颯爽と別ルートを降っていった後ろ姿はとてもカッコよかったです。

八王子城跡は中央高速道を挟んで高尾山の北側に位置します。売店も食事処もないけれど足を伸ばせば本格的な山道でハイカーも少なくて孤独な山歩きにはイイですよ。

この日のGPSログ
うじてるくん

レイラインと夏の日

現代ではお祭りごとがあると人々は渋谷に集まりますが、古来お祭りといえばそれぞれの神社がみんなの集いの場所でした。
大きな神社に小さな神社、その神社はなぜそこに在るのだろう。

みんな大好き歴史の時間です。

レイラインということばをご存知ですか?
詳細はググっていただくとして、日本で有名なレイラインのひとつは富士山と茨城の鹿島神宮を結ぶ地図上の直線で、この線上に明治神宮・皇居、おまけにスカイツリーも乗っているよと。そしてその線を西南西に伸ばせば伊勢神宮も構えていますよと。太陽の動きを絡めて考えたりもしますね。

太古の人々にとうぜん山岳信仰があっただろうし、東西南北より太陽が昇ったり沈んだりする方角が重要だったわけで、それが意図されたものであるという仮説=レイラインはとても納得できます。

でもどうやって地理を計測したの??

紀元以前の人たちがどんな事情でどんな技術をもって、そしてどんな想いで神社の位置を決めていたのかに思いを馳せてみるのもロマンチック。そんなときのBGMには姫神がよく合う。

さて私の住むさいたま市には武蔵一宮氷川神社(以降 大宮氷川神社)がございます。大宮氷川神社もレイラインを構成しています。霊峰富士そして同じく筑波山を結ぶ直線上に大宮氷川神社が鎮座しております。

そんな大宮氷川神社は市内の中山神社・氷川女體神社と共に氷川三社を構成しています。そしてこの三社を結ぶレイラインはそのまま冬至の日に太陽の昇る方角を真っ直ぐに指しているとされています。光の道とも呼ばれているとか。ステキだなあ。
ちなみに本日12月22日も2021年の冬至です。

この三社はそれぞれ何度もお参りしていますが久しぶりにシーケンシャルに訪ねてみようと最高気温37℃のとある夏の日、その酷暑に自分が耐えられるのか興味もあって自転車でGOしました。
4ヶ月以上も前のことになりますがその回想で三社をかってに案内させていただきます。

まずはやっぱり大宮氷川神社。2kmの参道が爽快で、一の二の三の、と鳥居の端をくぐり朱色の橋と門が見えてくると気持ちもアガります。そのいっぽうで裏手の蛇の池の湧き水エリアは静寂のなかに神秘みたいなものを感じることができます。パワスポだとのこと。

いつもたくさんの人たちがお参りしていますが、この日は酷暑のなかで人はまばら、というかみなさん日陰に集まっていました。

大宮氷川神社を後にして見沼ヘルシーロードを南下、一般道へ出てクルマに轢かれそうになりながら中山神社へ。
この神社の裏手には旧本殿が保存されていてこちらは安土桃山時代の建造とされています。戦国時代モノですよ!
表の現本殿はオープンに開けっ広げられていて、中でどなたかがデスクワークしています。

この後たくさんの回り道と道草をしながら氷川女體神社へ。
ここは台地の端に位置していて干拓前の広大な旧見沼に突き出すような地形。昔は龍神さまを祀る御船祭りがあったりなど沼と深い関わりがありました。
またその名のとおり女神さまが祀られていますし、巫女人形が納められていたりしてなんとなくガーリー。

以上レイライン上の氷川三社巡りでした。
レイラインとはいえ道がまっすぐ引かれているわけでもないし、回り道や道草もしているので直線を実感できるものではないです。
それでもこの日のサイクリングはノスタルジックに夏の日を感じることができてとても印象深く残るものでした。

以降に個人的な思い出の記録をかってに残させてもらい、このブログエントリを締めます。

同日の夜は弊社内の少人数グループによる座談会があったので間に合うように急ぐ急ぐ。自分的にはゴン攻め。
移動距離はトータル40km弱ていど。それでもこのところ自分に過保護だったので久しぶりにノーガードの自転車で熱中症とかあるかな?と思ったけど気温37℃でもだいじょうぶでした。神さまの御加護でしょうか。

小さな神社でもなぜここに?から調べてみると学びや発見があるかもしれないからおもしろい。あんなこんな歴史上の人物が登場したり、地元に小さなレイラインをみつけることがあるかも。

お参りする神社に縁結びの御利益があるとお賽銭を奮発してしまいます。
以上、レガート歴史担当でした。

一人道灌紀行

歴史好きですか?日本の戦国史は好きですか?

「歴史をつなぐ」

みんな大好き歴史の時間です。

京を舞台とした応仁の乱から遡ること10年以上前、関東では享徳の乱が勃発。近年ではこの乱を戦国時代の幕開けとする解釈が占めるようになってきました。
関東戦国史はここから百数十年間、秀吉による小田原征伐、家康の入府までの間カオスが続いたのです。
そしてこの混乱期の初頭に登場したのが太田道灌。その八面六臂の活躍と非業の最期の詳細はWikipediaでも読んでみてください。

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(Wikipediaより)

ところで道灌の銅像ってあちこちで見た気がするけど他の誰かさんのそれと被ってどれがどれよ?となりあらためて整理をしたのですが、せっかく整理したのだから行って見てこうようぜと。
前置きが長いけどここからが本題。道灌の銅像を日帰りで巡る一人旅。その紀行です。

  • 日暮里駅「回転一枝」
  • 東京国際フォーラムガラス棟
  • 川越市役所
  • 岩槻市芳林寺
  • 岩槻人形博物館
  • 越生町龍穏寺
  • 伊勢原市役所
    design

今回巡る道灌像はWikipedia記載の7箇所に絞ります。この7箇所を1日で効率良く訪ねる巡回セールスマン問題を秒で解いて計画を立案。
久しぶりに良く晴れた日曜の朝、6:30に自宅を出発。BGMはNHKラジオ体操。

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首都高大宮線の端っこ、この地下基地から出発するみたいなノリがお気に入り。

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7:00三軒茶屋通過。おはようございます。

伊勢原編

首都高から東名と順調、春の交通安全運動期間中ということもあるので覆面パトカーに警戒しつつ 7:40第一目的地の伊勢原市役所到着。
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この地は道灌最期の地。彼の活躍を妬んだボスが饗応を装い呼び出して刺客を放ったのです。いつの時代も内ゲバの末路はお約束なもので、道灌最期の言葉「当方滅亡」をなぞるようにボスの扇谷上杉家は衰退の一途を辿り、かの有名な河越夜戦で当主が討死、滅亡に至ります。
市役所の広場ではジョギングを終えたジョガーの人たちが丸くなってラジオ体操をしていました。爽やか。

滞在5分で次を目指します。次の目的地は埼玉県越生町。圏央道経由で北上。圏央厚木PAで休憩。ハーレー集団やアメ車集団に割って入る。

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厚木市のマスコットキャラクターの「あゆコロちゃん」です。

越生編

越生での目的地龍穏寺は道灌にゆかりの深いお寺で、後に巡る芳林寺とともに遺骨や遺髪が葬られているとされています。風光明媚なところで、ハイカーやロード乗りの人たちもここを目指すとか。

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立派な山門が迎えてくれます。彫刻もステキ。他にも県や町指定の文化財となっている建造物が点在していて見学が楽しい。

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そして道灌像。この日いちばん間近で見ることができた像です。「太田道灌を大河ドラマに!」のアピールコーナーもありしっかりと署名してきました。

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周囲はこんな景色も広がっていて穏やか。ロードな人達用にサイクルスタンドが用意されている。ここ越生はサイクリストに優しい街らしくヒルクライム練習に訪れるロードな人達が多いとのことですが、荒川CR走ってきてからここまで登ってきてヘーキで帰っていくのだからすごいよな。
到着時は自分ひとりだけだったけど、帰るころはハイカーやロード乗りのグループ、法事に参加するらしき方達も集まってきて賑やかになってきた。次行くぞ。

川越編

次の目的地は川越市役所。川越城(河越城)は道灌の築城です。先にも記載しましたが道灌を謀殺した扇谷上杉家は朝定の代でこの地を舞台とした河越夜戦で終焉を迎えるのも何の因果か。
川越は小江戸と呼ばれる美しい街並みに人々が訪れる観光地です。この日もコロナ禍とはいえ皆さん密を避けながら楽しんでいます。目立ったのは着物をお召しの若い人達が多いこと。流行っているのかな。カップルとか着物で人力車乗ったりしてあーいーですねー。

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道灌像は市役所前、川越城の大手門跡にあります。城好きには縄張り図や鳥瞰図は好物です。
この日唯一のリア充スポットは早々に退散して次の目的地の岩槻を目指します。

岩槻編

岩槻は人形の街として知られていますが歴史的にはやはり岩槻城。岩槻城は長く道灌築城とされていましたが近年成田氏が築いたとも解釈できる古文書がみつかり論定には至っていないとか。それでも戦国末期には道灌の子孫の三楽斎(資正)が執拗にこだわって取った取られたを繰り返したのが岩槻城。太田家との関わりは深いのです。

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岩槻では見学箇所が2箇所ありどちらも市街地で移動には機動力が必要。そこで用意してきたコレの出番。コインパーキングで人目を気にしながらトランスフォーム。

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芳林寺は先の龍穏寺とともに道灌の遺骨が分骨されているといわれています。道灌像はどこも基本狩装束だけど、ここだけは武者姿です。やっぱり武士のこの姿は美しい。岩槻城の鳥瞰図もあった、うひょー。

次の道灌像は岩槻人形博物館前。旧岩槻市役所からここに移転されたとのこと。人形博物館の中ではお着物を召したご婦人たちが艶やかに集合していらっしゃいました。
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この後はいったん自宅へ。クルマを置いていくつかの雑用をやっつけてこんどは電車で都内を目指します。

都内編

JR日暮里駅東口前の回転一枝の像。道灌の銅像としてはこれがいちばん有名かな。彼のエピソードとして有名な山吹の里の娘さんの銅像もいます。けっこうカワイイ。
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そしていよいよこの日ラストの訪問先、東京国際フォーラムを目指します。ここは元都庁があった地。すぐ近くに江戸城跡(皇居)があります。

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家康入府前の江戸城が道灌の築城であることは有名です。ここの道灌像はこの場所から江戸城を眺めている姿とのこと。
東京国際フォーラムの片隅にポツンと建っているのですが、自分が滞在した15分程度の間にも歴女とおぼしき若い女性が2名ばかり見学にいらっしゃいました。もちろん話し掛けてなんかいません。

ビール編

この日予定した見学スポットは全て巡り終わり、黄昏る東京駅周辺を少しだけ散歩して秘密の抜け穴みたいな地下道から東京駅へ戻ります。
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ヤエチカで数杯のビールとつまみでこの日の振り返り。この時間を待っていたぜ。時短営業に間に合って良かった。
GPSログ残してみたけどこの日の総移動距離は254km. みち草もより道もせずに移動している何の面白みも無いログだ。
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かかる時 さこそ命の 惜しからめ かねて亡き身と 思い知らずば

以上、レガート歴史担当の日帰り一人旅紀行でした。